先週、放送されたNHKクローズアップ現代

「死にざま指南 看護師僧侶が説く」

私が常々思う内容で、大変興味深く観ました。

 

父を亡くしたのが13年前。

ギリギリまで自宅で看ましたが

体の大きい父をトイレに連れて行く事が不可能となり

その後、入院。2週間後に父は旅立ちました。

 

しかし

続けられる点滴

尿は出ず、皮膚はパンパン

 

それでも点滴をしないといけないのだろうか?

 

自分の体が重そうで

辛そうだった姿を今でも思い出します。

 

 

クローズアップ現代、

ご主人を失くされた玉置妙憂さん。

ご主人は入院することを拒まれたそうですが、


「点滴もしなかったのでね。

そういう風にすると、ほどよく枯れてくんですよね。

本当の意味で。物理的にドライになっていくんですよ。

それはある種、衝撃で。

いや、きれいなもんだなっていうか。

すばらしいな、美しいっていう。」

 

ほどよく枯れていく

すばらしいな、美しい

 

その言葉はとても衝撃であり

次の瞬間、理想に変わりました。

 

人は死ぬ前、人生の整理をする

父も、やたらと昔話を始め、

人前で歌うことなどなかったのに

昔よく歌った歌だ、と口ずさんでみたり

亡くなる数日前には、私達三姉妹に

「笑って生きていけ」と言った父。

 

だけど父の「死」に対する問いや会話に

うまく「かわす」事しか出来なかった私達。

 

「死を遠ざけていた」

 

私達は「死」をタブーとし、

口にすることで「縁起でもない」と言い、

これでよかったのだろうか?と自問自答する。

 

しかし誰にでも等しく訪れる「死」

 

大切な親友も癌で10年前に旅立ちましたが、

彼女がいたホスピスには神父さんがおられました。

 

私達は死の数日前までも

笑って楽しい話をし、いつものように過ごしたものの

死生観に触れる事はありませんでした。

 

死を待つ彼女に死の話をわざわざする

そんな匠な術を持ち合わせるはずもなく。

彼女もまた、自分の止めどない思いは

神父さんに話して楽になる、

そう言っていた事を思い出します。

 

若かったせいもあるのかもしれません。

 

人に等しく訪れる死

それがタブーでいいのだろうか?

 

その思いを、しっかりと形として伝えていた番組。

 

臨床宗教師、聞き慣れない言葉。

 

進んでいく医療を前に

人が人らしく終えていく事の意味。

 

ひとりひとりに突きつけられており、

自分がどう最期を迎えるのかは

どう生きるか?を考える事でもあると

改めて、しみじみと感じたのでした。

 

友人が亡くなったその後に

部屋を片付けていると

壁に掛けたカレンダーの表紙にあった

「みなさん、ありがとう」の文字。

 

死をタブーとしていなければ、

お互いに直接、感謝の言葉も伝えられたのかもしれない・・。

 

だけど

 

もちろん

 

伝えなくとも

 

伝わっている、

 

それも知った上での話なのだけれど。